現在東京でフリーの声優・女優として活動している桜庭梨那さん。家族が暮らすいわき市に帰省のタイミングでお話を伺うことが出来ました。
編:桜庭さんは双葉町のお生まれなんですね。双葉町の花も桜ですが、これは本名ですか?
苗字が芸名です。大好きな「桜」が使われている苗字を探して、その中から自分の名前と響きの合う“桜庭”を選びました。双葉町で暮していたのは15歳まで。中学の卒業式が終わった後、お祝いで家族と出かけている時に、大震災に見舞われました。翌日、町内放送で避難命令が出たため祖父母ともに避難所へ向かい、その後は群馬県での避難生活を経ていわき市へ移住しました。
編:声優になろうとしたきっかけはありますか?
子どもの頃からアニメが好きだったのと、お芝居に興味があったのですが、高校で出会った友人の影響で、職業として声優を意識しました。映画や舞台もよく観に行くうちに、作り手の側になりたいと強く思い始め、「今やりたいことを、今やろう」と背中を押してくれる作品と出会い、上京しました。双葉町の盆踊りにまつわるドキュメンタリー映画『盆唄』では“のえ”という女性の幼少期を演じたのですが、映画に出演された横山さんは、子どもの頃に習っていた和太鼓教室の先生だったんです。その縁で中江監督とお会いする場を作っていただき「何らかの形で関わりたい」という話をしたところ、その場で台本読みのテストとなり、後日出演のお知らせをいただきました。
編:双葉町の思い出はありますか?
自然に囲まれた町でした。兄とよく自転車で山を越えて祖父母の家へ遊びに行き、農作業を手伝ってお小遣いをもらったり、道中の駄菓子屋さんに寄り道したり。お店のおばちゃんも、ご近所も、皆家族のようでした。毎年元旦には、海岸で寒さに震えながら、日の出とともに和太鼓の演奏をしていました。演奏前に焚き火でダウンジャケットを焦がしてしまったのも、今では微笑ましい思い出です。
今回、聖火ランナーとして応募したのも故郷を走ってみたいという気持ちが強くあって、選ばれた時は本当に嬉しかったです。現時点では私が双葉町を走れるかどうかは決まっていませんが、浜通りの様子を多くの皆さんに伝えるお手伝いが出来たら良いなと思っています。
編:これから挑戦してみたい事は?
役者として食べていけるようになることはもちろん、双葉町や福島県、そして東北を盛り上げたい。その為にまずは、地元のことを自分自身がもっとよく知り、皆さんにも知っていただけるような活動をしていきたいです。今年の第一歩として、聖火リレーの走行を3月26日に予定していますので見かけたら是非、応援をよろしくお願いします。