エリア相南相双・トライカウンティーの情報誌WEB i-いんふぉ
passion
世界で戦うサムライブルーと、福島の復興を「食」で支え続けて
〜DREAM24代表取締役 NISHI'S KITCHENシェフ 西 芳照さん〜

 いわき市の鹿島ショッピングセンターエブリアで一昨年春にオープンしたお店「NISHI'S KITCHEN」にて、昨年末のFIFAワールドカップ・カタール大会の帯同を終えた西シェフにお話を伺いました。

編:ご出身は南相馬市の小高区だそうですね。元々料理に興味はあったのですか?

 全く無かったのですが、もの作りは好きで家を新築している時に大工さんにくっついて作業の真似をするような子供でした。大学受験に失敗して予備校生活を送っていた東京で、居酒屋のアルバイトから料理の面白さに目覚め、本格的に料理を学ぶ為に京懐石のお店に弟子入りしました。東京で結婚、2人の娘にも恵まれました。1997年にJヴィレッジのオープンを知り、子供たちを自然豊かな福島で育てたいという気持ちと、苦労をかけた両親の近くで暮らしたいという想いもあって、館内のレストランを運営する会社に転職して家族で福島に戻ってきました。

編:ワールドカップ帯同はいつから?

 Jヴィレッジで総料理長として働いていた2004年に日本サッカー協会からオファーがあって、2004年のドイツ大会アジア地区予選から帯同シェフを兼任しました。その後南アフリカ大会、ブラジル大会、ロシア大会を経験し、昨年のカタール大会を含めて5大会200回以上の日本代表チームの遠征時に調理を担当しています。開催国によって調達できる食材や調理環境が全く違うので、毎回工夫をしながら「選手ひとりひとりがベストパフォーマンスを出せる料理」を心がけています。今回のカタール大会では相馬のきゅうりの漬物やいわき市小名浜のさんまのつみれが活躍しました。

編:大震災の後はどうされていましたか。

 家族と東京に避難しましたが、震災の2週間後に自分の包丁などを取りにJヴィレッジに入った時の光景が忘れられません。サッカーコートの芝には砂利が敷かれ、復旧作業の拠点になっていました。作業員さん達が体を休めているのは廊下に敷いた段ボールの上で、食事は缶詰が中心という状態。やがてコートには宿舎が建ちましたが、食事の面では厳しい状況が続きました。全く別の場所で働く選択もありましたが、震災で多くの人が亡くなり、親類や親友をも亡くした事から自分の人生を見つめ直し、「復興に携わる人たちに温かく美味しい料理を提供する事で福島の役に立ちたい」と決意して2011年の9月、Jヴィレッジに戻りました。その後、復興が進んでからは広野町の商業施設ひろのてらすの「くっちーな」と、いわき市のお店に活動の場を移しながら、日本代表の他に数チームの帯同シェフを続けています。

編:ワールドカップ帯同はカタール大会で最後にするという表明をなさったとか。

 昨年に還暦も迎えて後任も考えていますが、2月にはU-20のアジアカップや、夏には女子のワールドカップと、来年のパリ・オリンピックの帯同も控えていますので、もうしばらくはサッカーと共に国内外を飛び回る生活が続きそうです。

NISHI'S KITCHEN
いわき市鹿島町米田字日渡5 エブリア2階
定休日:月曜、火曜
TEL 0246-38-4024
https://www.alpinerose.jp/


> HOME