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自分を救ってくれた箏で、誰かを元気にしていく
〜箏奏者・箏男kotomen 大川義秋さん〜


    箏男kotomen 大川義秋さん

 東日本大震災・原子力災害伝承館で3月11日、「3・11メモリアルイベント」が開かれました。絵本「請戸小学校物語〜大平山をこえて」を和楽器と語り、劇による構成で表現したステージに箏(琴)奏者として立った大川義秋さんにお話を伺いました。

 中学まで双葉郡双葉町で育ち、人見知りでピアノの好きなおとなしい子供でした。震災の日は双葉中学校の卒業式。避難生活を経て引っ越し先の埼玉県で南稜高等学校に入学しました。その学校は部活に入る事が必須で、原発事故の事を誰とも話したくなくて、部員の少ない部活を探して入部したのが廃部寸前・部員ゼロの邦楽部。かつては全国大会にも出場するような部でしたが、部室に約2年使われずひっそりと置かれた30面の箏(箏は一面、二面と数えます)が、孤独な自分のように見えたのを覚えています。

 その後、同級生が2人入部して6月から3人で活動を始め月1回、地域の箏の先生に教わっていました。楽譜が漢字で縦書きだった事などの難しさはありましたが、そこを乗り越えると楽しくなって心が元気になっていきました。夏の文化祭での初ステージを前に、毎日5〜6時間練習して本番に臨みました。全校生徒の反応はいまひとつでしたが、校長先生からの「演奏素敵だったよ!」の声に自分の演奏で心を動かすことができたことに喜びを感じました。介護施設等にも足を運び、演奏を楽しんで貰う工夫をした経験は今のステージでも生きているかもしれません。
 大学生になり、東京都の公式に許可された路上ライブアーティストとして最初は着物で演奏していましたが誰にも足を止めてもらえず悔しい想いをしました。

 箏の音色の素晴らしさを伝える為に演奏技術以外に何ができるだろうかと考えた時、幼い頃に両親と観た劇団四季などの舞台に「人前に出る事への憧れ」を抱いていた事も相まって「とにかく人目を引いてみよう」と衣装を作る事にしました。学校の家庭科の授業と母親が時折、布小物を作っていたのを見ていた記憶だけで自己流です。和洋折衷の派手な衣装で演奏しているとどんどん観客が増えていき、そこから男だけの和楽器パフォーマンス集団「桜men」に参加して2020年にメジャーデビューを果たしました。SNSでの発信にも力を入れ、動画再生回数が1億回を突破。技術を磨く事も忘れず、日本最大の箏の大会「賢順記念箏曲コンクール」と「全国くまもと邦楽コンクール」でそれぞれ1回ずつ全国1位を受賞できたのは嬉しかったですね。

 2020年は双葉町の避難指示が一部解除され、9年ぶりに故郷の地に足を踏み入れる事が出来ました。その時の風景に感じた寂しさ、苦しみ、それでも前に進んで欲しいという願いを込めて作った曲が「時の風に乗って」。今でも自分の経験や感じたイメージを大切にして作曲しています。

 箏を始めて13年。おかげさまで日本各地や海外でも演奏する機会をいただいています。最近、「90歳の方がコンサートに行く為にリハビリを頑張っている」というお話を聞きました。自分を癒し、救ってくれた箏でこれからも少しでも多くの誰かを癒し、元気づけられたらいいなと思っています。

■YouTube「コトメン / kotomen」 https://www.youtube.com/@kotomen ■Web Site「箏男kotomen 大川義秋」 https://www.kotomen.com/


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