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小高で「地元に愛される写真館」を二人でつくりたい
〜フォトグラファー 本田 奏さん 健太郎さん(Honda Kana & Kentarou)〜


本田奏さん、健太郎さん夫妻に初めて出会ったのは4月中旬の夜明け前、野馬追の練習風景を狙うカメラマンが集まる南相馬市鹿島区の烏崎海岸。その2週間前に本田健太郎さんが撮った写真を本誌5月号表紙に提供いただきました。小高区で写真館の開館準備中のお二人にスタジオでお話を伺いました。

奏さん:私は東京都出身で、都内の大学で写真学科を専攻しました。卒業後にフリーカメラマンとして活動、2018年に健太郎さんと結婚して神奈川県川崎市で暮らしていました。もともと地方に移住したい気持ちがあり、2023年1月に南相馬市が移住・定住の促進で募集していた「おだかぐらし体験ツアー」に夫婦で参加したのが転機となりました。
「いつでもおいで」と声をかけてくれる街の人たちとの触れ合い、そのあたたかさと街の風景に心惹かれました。「移住するなら今のタイミングだ!」と、6月から南相馬市地域おこし協力隊に応募し、採用決定後の 月に私が単身で移住、翌月から現在まで市の広報活動や移住促進の事業を担当しています。採用前の7月に撮った相馬野馬追の写真は福島県公式イメージポスターフォトコンテストで国分太一賞と南相馬市賞をW受賞させていただき、とても嬉しかったです。

健太郎さん:私は熊本県出身です。高校生の頃から写真に興味を持ち、大学では写真部の部長を務めながら大学の広報委員会をしていました。関東に就職後に交流していた写真サークルの繋がりで妻と出会いました。都内でITエンジニアの仕事をしていたので妻が移住した後もしばらくは川崎市に残っていましたが、昨年2月にリモートワークにして私も小高区に合流。今年から南相馬市の会社に転職し、まちのIT屋さんとして仕事をしながら写真を撮っています。

奏さん:移住する前から自分のスタジオを持つことを考えていました。小高区で震災前まで開業していた写真館「studioミウラ」を見つけた時は、小高とのご縁を強く感じました。この写真館1993年に三浦邦夫さんが開館して震災で千葉県に避難するまで七五三や家族写真などを撮り続けてきたと伺いました。三浦さんは帰還と再開を目指して定期的に建物の手入れに訪れていましたが、高齢となった為に諦めていたそうです。2024年5月、市内の空き家と物件を探す人をつなぐ相談窓口「ミライエ」さんの仲立ちで三浦さんとお会いして私達の作品を見てもらい、「あなた達ならきっとこの写真館を活かして成功できるはず」と言っていただき、スタジオをお借りすることになりました。来年の秋に地域おこし協力隊の任期が満了するので、それ以降に写真館の本格的オープンを目指しています。




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